食べ手について
公開日:
:
2018/12/09
雑記

生産者がいて料理人がいて食べ手がいる。まぁそうなんですが、フードロスについて調べていたら、やたらと食べ手という言葉がでてくる。作り手と食べ手をつなぐとか、食べ手の想いとかね。僕は食べ手という言葉に想いや温かさがどうしてもリンクしない。顔のない人がパクパク感情もなく食事している姿しか想像できない。牛や野菜を育てる人も流通させる人も料理する人も、もっと言えば仕事している人はみんななんらかの生産者であり消費者でもあるからレストランに来てくれる人は食べ手ではなくお客様という言い方が好きかな。
こんなことを言ってますが、僕も食べ手と言ってたことがあります。ワインやってる人は生産者のことを造り手と言いますが、その延長線上で食べ手と言うようになったのかなとか、ちょっと分かりませんが、僕も使っていていつからかすごく違和感があって、まぁどうでもいい話かも知れませんが愛農ポーク入荷してきました。

関連記事
-
-
新しい流通を創りたい、いろんな想いを秘めて動き出します
2007年にロンドンから創刊されたMONOCLE[/caption] 4年前の記事だがも
-
-
牛肉は手間ひまかけた分だけおいしくなる
昨日は神戸牛の勉強会(食肉塾)へお招きいただき、熟成肉についてお話しさせていただきました(写
-
-
A5になるように育てた牛ではなく、結果がA5だったという牛はなにが違うのか
「いわゆるA5」とは真逆の牛ばかり扱っているので僕がA5を嫌いだと勘違いされている方がいるよ
-
-
「食べ方は生き方」という考え方
昨年の9月11日にきたやま南山にて行われた放牧アンガス牛を食べる会は今思い出しても感動的だった。東京


















