と畜解体と枝肉の捌き
公開日:
:
2019/05/04
コラム
ドンっ!牛の眉間にキャプティブボルト(屠畜銃)が打ちこまれる。失神した牛は巨体を揺らしながら横たわる。駆け寄る職人たちが手際よく命を抜き取る。
○月○日、東京目黒のラッセ、村山シェフと渡邊シェフがその様子を凝視する。皮を剥ぎ内臓を掻き出された牛は枝肉となる。生き物から食べものになる瞬間に立ち会うとゾクっとする。何回と見てきたがいまだに慣れない。慣れてはいけないのかも知れない。
僕が20代の頃、旧屠場に内臓を引き取りにいくのが日課だった。いつも早めに行って牛が屠られる(命をなくす)シーンを見ていた。
この頃の屠場はいまはない。近代化された新しい屠場は食肉センターとなり食肉輸出が可能な施設となった。すべてが便利になり合理化された。昔も今もやってることは同じだが便利の代償に、命が見えにくくなったように思える。
この頃から一貫して枝肉を使い続けている。僕はもともと左利きなのだが腱鞘炎がひどく右利きにスイッチした。その右手首も腱鞘炎でハードな捌きは手首に激痛が走ることがある。スポーツ選手なら引退だな。枝肉から骨を抜くことを捌きと呼んでいるのだが、イベントで肉の解体ショーとか言ってブロック肉を小割りしているシーンをたまたま見かける。どこが解体なのか?、、屠畜場で生と死を見てきた僕からすれば茶番にしか見えない。
いまサカエヤでは捌きは了平(22歳)とジン(21歳)に任せている。仕事量の多いときや指導するときは僕も捌くが、とにかく邪魔臭いことばかりやっている。2年目のジン(左)は一通りの捌きができる。ジンはけっして器用なほうではない。どちらかと言えば不器用で時間がかかるタイプだ。それでもサカエヤの環境にいれば上手い下手は別にして半年で一頭の枝肉を捌けるようになった。
僕は特殊な捌き方をやるのでそれも難なくこなす。例えば、トックリ(骨付きモモ/写真)はランイチのみ熟成させるために骨付きで残す。了平(右)はさらに難易度高く、写真の状態からウチヒラなど外さずにマルシン(シンシン)だけ取り出すことができる。牛肉を生業にしている方ならどれだけ高等技術なのかわかるだろう。
僕は若手の育成とか教育にはまったく興味がない。興味があるのは目の前の牛がどうすればおいしくなってくれるか、それだけ。
関連記事
-
面倒くさい人の無理ですは自信の裏返し
経験の少ないスタッフの「できません」「無理です」と職人のそれとはまったくの別物です。職人とい
-
先達から学ぶ仕事への向き合い方と姿勢
弥助の大将が握る寿司を食べたいがために金沢へ行ったことは1度や2度じゃありません。残念ながら
-
経産牛を再肥育して価値ある肉へ
牛肉として価値がない とか、 市場で買い叩かれる とか、 。 たくさん子供を産
-
肉汁は肉によりけり焼き方によりけり正解もなく不正解もなく
肉の繊維の断面を先に焼いてから内部の水分を閉じ込めてから焼く云々・・・ この先の文章で