いのちといのちをつなぐ人
公開日:
:
2012/06/19
雑記
黒表紙で一見同じように見える2冊の本だが
中身はまったく異なる。
共通していることといえば、「牛肉」というキーワードのみ。
「屠場」は、あまりにも衝撃的な写真がたくさん掲載されているので
積極的にはおススメできないが、畜産関係者の方々は手にとってほしい1冊である。
「屠場」とは、牛を屠(ほふ)るところで、農家から出荷された牛が向かう先だ。
この本は、大阪の松原にある「屠場」の様子を写真家、本橋成一氏が撮影したものだが、
滋賀の近江八幡にあった「屠場」もこんな感じだった。
あぁ~懐かしい。
「あった」と過去形で表現したのは、現在は「屠場」はなくなり
近代設備で衛生面を強化した食肉センターとして生まれ変わっているからだ。
写真ばかりなのだが、表紙をめくると1ページ目に「いのちといのちをつなぐ人」
という題名で文章が書かれている。
「屠場」で最初に牛と向かい合う技術員(屠夫)のことが書かれているのだが
読み終えると、改めていのちについて考えさせられる。
スーパーに並んでいる牛肉は牛肉であって牛肉ではない。
業者が納品していった肉の塊を精肉にして、そして消費者がそれを買う。
別段なんてことはない、日常のありふれた光景なのだが
あまりにも便利になりすぎて、合理化すぎて、いのちが見えなくなっている。
そんなことをふと思ったりする。
私が小さい頃は、田舎のじいちゃんところへ行くと庭に鶏がいた。
じいちゃんが絞めて夜には野菜と一緒に炊かれていた。
手を合わせ、うまい、うまいとといいながら食べた記憶が残っている。
もう1冊、SUKIYAKIは、1頭の松阪牛が、名店のすき焼きになるまでの
ストーリーだ。
通常、生産者は牛を育てて出荷するまでが仕事だ。
バトンを受け取った屠夫がいのちを抜きとる。
そしていくつもの問屋が介入し、最後は肉屋が精肉にする。
私は、30年以上に渡り、すべての流れを見てきた。
私は、農家(生産者)のことも知っているし、消費者のことも知っている。
「屠場」にも出入りしていたので屠夫のことも知っている。
2冊の本と出合って、私は牛肉をおいしく仕立てる役割であることを
改めて強く感じた。
そして、それは忘れ去られてはいけないことであり、
食の現場へ伝承していかなければいけない大切なことである。
牛を語れない農家がいる。
牛肉を語れない肉屋がいる。
インターネットの普及とともに、ネットで牛肉が簡単に買える時代だ。
だからこそ、私はいのちといのちをつないでいきたい。
2009年3月8日、なかのり号を見送った日のことを思い出す(→クリック)
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