心ある料理人の心ある料理
公開日:
:
2013/07/14
雑記
クレメンティアの田淵シェフの探究心あふれる牧草焼きは、土も藁も牛も人も関わるすべての人が幸せになれるおいしさだ。
田淵シェフの食材に対する思いや取り組みを含めた背景を知っているからそんな気持ちになるのかといえばけっしてそうじゃない。
残念ながら、ホテルのレストランでそれを感じることはない。もちろん私の乏しい経験の話ではあるが、労働時間を含めサラリーマン化した制約だらけのなかで作り手の「心」まで伝える料理は作れないのではないだろうか。
いつだったか忘れてしまったが、田淵さんが木下牧場を訪ねて家族の絆や牛に対する姿勢に感化され、それ以来、木下さんの肉を使い続けている。とはいうものの、趣味で料理をやっているわけではないので、品質や価格の調整を私がお手伝いしているのだ。安定供給はできないし、その都度の仕入れ状況によって部位も異なるのでセンスのないシェフならイライラすることだろう(笑)
田淵さんがデザインする牧草焼きは、牧場そのままをイメージしているんじゃないかな。例えば今回の肉は、16産もした(子供を16産したということ)木下牧場の大功労者なのだ。普通なら肉用としては使えないし、廃牛扱いにされるところだ。
通常、経産牛(子供を産んだ牛)は種がつかなくなればお役御免で処分されてしまう。穀物を与えて肉を付けるために再肥育する場合もあるが、16産もすれば骨は痩せ細って肉もあまりとれない。レンダリング業者に持っていかれてミンチにされ肥料やペットフードにされるのが関の山だ。
もちろん生産者はそんなことを望んではいない。できることなら肉として食べてほしい。肉用牛は経済動物でありペットではない。病気や事故で食肉になるまえに死んでいくこともある。だからこそ心ある生産者は看取りを大切にしている。
田淵さんのように、産地や生産者と繋がりを持つ料理人が増えつつある。企業が土足で畑に入り込むマーケティングは嘘くさくて好きになれないが、小さな店の心ある料理人こそ私は応援したい。
昨日は、出張で金沢でした。同じ日に友人も金沢入りということでお寿司屋さんへ誘っていただいた。見る人が見ればだれだかわかるだろうが、小松弥助さん、御年85歳、現役の寿司職人さんだ。弥助さんに惚れ込んで全国からわざわざお寿司を食べるためだけに金沢へやってくる。
弥助さんがこんな話をしてくれた。先日、開店前にお弟子さんをカウンターに座らせて一通りのお寿司を握ってあげたそうだ。会話などない。ネタがどうとか握り方がどうとか、そんなことは経験を積めばできること。それよりも「心」を感じてほしかった。何を感じてくれたかは聞きもしなかったが・・・と言ってやさしく微笑みながら私の目の前にお寿司がおかれた。
お寿司は手で握るのではなく心で握るもの。おそらくこう言うことなんだろう。私のレベルではまだまだ高い山だが、生涯かけて目指していきたい。
そして改めて思った。いくら良い素材(食材)を仕入れてもそれを扱う人の心が味を左右するのだと。そのためにも、もっと牛のことを知らないと、もっと肉のことを知らないといけない。うまく言えないが「理解する」ということかな。
「心をこめる」ってよく使われるけど、こういうことなんだろうな。
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