肉仕事について思うこと、私なりのメッセージ
公開日:
:
2016/08/31
コラム
ギューテロワール ミートカレッジ
Leica M monochrom apo-summicron 50mm F2 asph by Tokoyo Takashi
公平は約一年間、パリのイブマリのところで研修後、現在は南山で働いているのですが、肉のおもしろさがわかるのは、まだまだずっと先のことだと思います。私がそうだったようにとか言うつもりはありませんし、もしかすると、頭の良い公平はすでに気づき始めているかも知れません。その辺りは本人にしかわからない、いや、もしかすると本人さえもわからないかも知れません。
肉仕事を一言で表現するとすれば「肉体労働」のなにものでもありません。特に骨を抜くという捌き作業は、見た目にはカッコよく職人ぽく映るかも知れませんが、実際は泥臭くて汗臭くて、若いときは楽しいというよりも、どちらかといえば辛さが勝ってしまいます。日々の仕事に追われて、見たり、聞いたり、考えたりする暇がないのです。失敗しても反省する余裕すらないくらいです。でも、そこに身を置くことが何よりも大切だと思うのです。
今の若い子には無理だろう、そんな環境下に身を置いたらすぐに辞めてしまう、時代に合わせた雇用をしなきゃ・・・なんて声が聞こえてきそうですが、わたしのなかでも同調する部分はあるものの反面そんな子ばかりじゃないという希望的な見方もあります。そういった若者を育てていくためのギューテロワール ミートカレッジなのですが、厳しいか厳しくないかは本人の受け取り方次第で、学びは将来の財産になりますし、いまは日々の仕事に追われて何も見えなくても良いと思うのです。
公平はまだ25歳(だったかな)、うちで修行中の了平なんて20歳です。大切なことは与えられた仕事を毎日コツコツとこなすことです。怒られても叱られても毎日毎日、同じことを繰り返し繰り返し、とにかく基礎をしっかり体と心に覚えこませることなのです。そして30歳くらいになったとき、ある日を境に点と点が繋がるときがくるのです。そうなると、もう後は簡単です。好きなようにやればいいのです。逆立ちしながら肉を切ろうが、目隠しで肉を切ろうが、正解も不正解もないのです。
40歳を過ぎたあたりから、肉仕事が楽しくなってきます。この頃から肉と向き合うという意味がなんとなくわかり始めます。そして50歳を超えたとき、この仕事が天職だと思えるようになります。これは私が多くの肉職人を見て感じたことなので、もちろん当てはまらない人もいるでしょうし個人差もあるでしょう。これはあくまでメッセージであり、感じる方だけが頭の片隅にでもおいてもらえる言葉であれば良いと思っています。
私の場合は、辛いも楽しいも肉仕事以外はまったく人としてもダメダメなので、向いてるとか向いてないとか思ったこともなく、ただ、目の前にある肉をどうにかお金に変えないとご飯が食べられないので必死にやってきただけなのです。そんな私でも50歳を超えたあたりからこの仕事が楽しくなってきたのです。失敗しないコツは一つのことを長く続けることだと誰かに教わりましたが、ほんとその通りだと思います。
「牛飼いは肉を語らず、肉屋は牛を語らず」
これは誰かが言ったわけではなく、私が常々思っていることであり、心がけていることでもあります。詳しくは何かの機会にでも書きたいと思いますが、その道のプロフェッショナルは、自覚と自信、そして人間味だと思うのです。
私が「死ぬまで肉屋でありたい」と座右の銘にしているのは、もちろん他になにもできないからということもありますが、満足する仕事が死ぬまでできないという意味なのです。ちょっとカッコつけた言い方をすれば、冒険のようなもので、それほど肉は奥深く、知れば知るほど難しくておもしろい、矛盾した仕事なのです。だからこそ一生かけて挑まなければ答えのしっぽすら捕まえられないのです。
関連記事
-
保護中: ③BSEから学んだこと
国産飼料で育てた近江牛。見えない輸入の飼料ではなく飼料も見える化したいという取り組みだ。つまり、BS
-
サシだ赤身だと言ってもなかなか奥が深いものなのです
長浜農業高校が出荷した近江牛(A4)ですが、最近は繁殖もしているようで凄いですね。そのまま畜
-
脂の溶ける温度、融点が低いからサシ肉がたくさん食べられるということでもないと思うのです
先日のセリで購入した近江牛。いつもはA3狙いで枝肉を選定するのだが、サシの多い和牛で育った私